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2016年7月

2016年7月21日 (木曜日)

数脳・図脳・算数脳 その23

わかりながら先に進むことは大事です。

しかし、時にはわかったような気になって進むことも必要です。
 
その昔、集団授業をやっていた頃の話です。
担当していた5年生のAさんのお母さんから、授業についていけていないのではないかと言う相談を受けました。
このままでは心配だからクラスを下げてもらうとか、何らかの方法をとりたいということでした。
塾や先生のことはとても信頼しているし、子どもも気に入って楽しく行っているのだが、どうもわかっていないまま進んでいるような気がして不安である、とのことです。
 
Aさんの成績はクラスの中では真ん中よりやや上でした。
もしAさんがついていけていないとしたら大問題です。クラスの半分以上がついていけていないことになります。ピントの合っていない授業をしていることになります。
 
そこで詳しく話を聞いてみると、
① 授業で習ったはずなのに自分で、宿題ができないことがある。
(宿題は予習シリーズの基本問題と練習問題です。この頃は演習問題集はまだありませんでした)
② そこで母が教えていると、どうも基本の部分で理解できていないところが見えて余計不安になる。
③ 気がついた穴を埋めるために割合など前の単元にもどって教えなければならなくなる。

④ そんなことをしているうちに時間がなくなり、課題をこなすことができずに次に進んでしまう。
 
ひとつひとつは、よく聞く、また、うまくいっていない(と感じる)典型的なパターンです。
確かに大問題ですが、いちばん問題なのは(これはそのまま言いませんが)お母さんの不安と焦りです。
 
以下、私の回答です。

①について。
 
自分だけの力で、練習問題まで含めて予習シリーズがスラスラ解けるのはかなり上位の子どもだけである。
わからない、できないのが当たり前のくらいの気持ちで見てあげるべき。
(話を詳しく聞くとまったく手が出ないわけではなく、できない問題が数か所あって、そこは習っているはずなのに、不安になるのだそうです。)
 
②について。

100%理解しながら前に進もうとするのがまず無理な話だと思うこと。
そのために夏期講習などで、半分以上は復習になるし、また、予習シリーズのカリキュラムも重要なところはくり返し形を変えて学習するようになっている。
(どうも私は完全主義のようで、とくり返しおっしゃっていました。)
 
③、④について。

前にもどることは悪いことではないが、限度があるし、きりがないので、できる限りでかまわない。さらにはやらなくてもよい。正しい学習法を取っていればこのままで問題なく、また先にいけば自然に理解できるところもたくさんある。
間に合わないようなら、私のプリントと「計算と一行」だけはしっかりとやって、予習シリーズはできる限りでよい。そのうち必ずシリーズまできちんと終わることができるようになる。
くり返しになるけれども、まずは、目の前の問題に集中して、わからなくて当たり前、わかったらスゴイ、くらいの気持ちで見てあげるべき。
 
お話をした後は納得していただけました。
先生が思うとおりに指導してくださいと言ってお帰りになりました。
 
学習に関して(もちろん他のことも)、大人の目線と子どもの目線は違います。
理解の仕方も違います。
大人は子どもに比べて圧倒的な経験と知識で、学習にあたります。
子どもはその、まだまだ大きく空いた脳のスポンジに、快感を伴う刺激を中心に、先入観なしで、どんどん取り込んでいきます。
その最中は止めてはいけません。

わかるもわからないも含めて取り込めるのが、子どもの未知数の力になります。
解けないままに放置してある問題のパーツがいつかつながったときが大きな力に変わる瞬間です。
わかりながら、確かめながら、進むことは大事です。
しかし、わからないまま、それが気持ち悪ければ、わかったつもりになって、先に進むことも時には必要です。
「わかっていない」、「理解していない」ことを指摘することも大事ですが、それも時期と問題によりけりです。

理解の度合いは先生と子どもに任せて「わかったらスゴイ」くらいの気持ちでお子さんを見てあげると、算数好きで算数が得意の子どもがもっとたくさん増えていきます。

2016年7月19日 (火曜日)

数脳・図脳・算数脳 その22

算数に読解力は必要ですか。
 
算数について、たまに質問されることのうちのひとつです。

国語の読解力と算数の読解力はまったく別物で、国語の読解力が直接算数の得点力と結びつくことはありません。
 
算数や数学ではよい問題ほど簡潔に無駄なく必要な情報だけかかれています。問題文の長短は条件の多さ、例の多さによります。
 
問題文の中から行間や情景、背景を読み取る必要はありません。
 
しかし、「ゆとり教育」以降、国語の読解力以前のところでひっかかっている子どもが増えています。
根本の読み書きの力、特に読みの部分が極端に弱いようであると、当然これは算数を解く上でも支障が出てきます。
少なくとも十数年前では聞いたことがないような質問を、近年聞くことが多くなってきました。
まず、問題を解かせてみるとただの一行問題なのですが、
「これどういう意味?」
特別に難しいことは聞かれていなくても、何を解答として答えるべきなのか判断できないようです。

思わずびっくりするような解答の例としては、次のような問題とその解答があります。
<問題>6%の食塩水200gと11%の食塩水300gをまぜると何%の食塩水ができますか。
<解答>できます。(あるいは、できません。)
??ですよね。実例です。
これについては複数見ています。

しかしこのくらいなら、よくある問題については問題を解いていくうちに問題慣れしてきます。何を答えるべきかは学習していきます。これはしかし、国語の読解力以前の問題かと思うのですが。
 
100マス計算や漢字の書き取りなどがことさら話題になるのは、このようなところに根があるのではないでしょうか。ゆとり以前なら、本当の基礎学力部分は100マスなどやっていなくても、同じ量くらい学校や家庭でやっていたのかもしれません。そういった意味で、今、100マス計算や漢字の書き取りなど貴重になっているのでしょう。
 
100マス計算自体は昔からありました。
?十年前、塾講師になりたての頃、授業についていけず何事においても遅い子が受け持ちました。
字を書くのも遅ければ、消しゴムで字を消すのにも時間がかかる、そんな子でした。
悪い同僚が国語を持っていたのですが、その子の消しゴムを使う姿をよく物まねしていました。
ある日、ふと何かの本で100マス計算を見つけ、その子の顔が浮かびました。
当時はパソコンどころかワープロさえありませんでしたから、自分でマスを作り大量にコピーしてその子にやらせました。
その子はまだ4年でしたが、これが非常に効果的でした。
「先生のおかげで、すごく算数ができるようになって」
気さくな(失礼かもしれませんが)純朴そうなお父さんから感謝の言葉を何度もいただきました。

それは塾講師として初めての経験でしたから、今でもよく覚えています。
 
100マス計算などは、子どもによっては非常に効果を発揮します。
基本の計算力は、子どもによって量は違うのでしょうが、算数の問題を解くための素地として最低限やるべき量があります。
それをやらないといくら問題を習っても習得していかない、または理解が遅くなります。
同じように読み書きも最低限やっておくべき量があります。

読解力と言うよりも、基本の読み書きの力があるかどうかの確認が必要です。

2016年7月17日 (日曜日)

数脳・図脳・算数脳 その21

中学受験算数では「場合の数」に限らず、数える問題は重要です。

上位校になればなるほど問題出題率は高く、さらに差がつきやすい単元です。
 
上手にていねいに数えることができるか、これは算数の大事な能力のひとつです。
 
ふつうに学習していると、ここは誰でも苦手になる単元です。
 
場合の数自体は、中学入試での出題率は10%未満です。さらに中堅校以下ではぐっと出題率も難易度も低くなるでしょう。
ここに力を入れる必要はないと考えるかもしれません。
「算数ができない子に場合の数をやらせるくらいなら計算の練習をさせたほうがよい」
そういう声は何度か耳にしたことがあります。
しかし「数える」力はどの単元でも根幹に関わります。ここを疎かにしていいとは考えられません。また単独での出題率は低くても規則性や条件整理、数の性質といった単元とからみやすいので、そこまで含めれば出題率は高くなります。
 
場合の数が苦手になってしまう理由としては、
 
「書く、調べるのが面倒くさい」
「計算一発で出ない問題が多い」
「答えがあっているかどうか判断しにくい」
 
といったところでしょうか。
 
何をしていいのかわからない、という場合もあるかもしれません。
 
さて場合の数の学習法です。
 
それがいつなのかに関わらず、きちんと学習しようと思ったら、とにかくまず樹形図でも書き並べ法(辞書式配列法のことです)でも、とことん書いてみることです。

いきなり3通り、2通り、1通りだから(3×2×1=)6通り、これはまずい。
 
はじめはできるだけ書かせて、このルールに気がつかせるべきです。
やっているうちに人間はくふうをしたくなります。
時間さえあれば、とことんルールに気づくまで、くふうができるようになるまで、書いて書いて書きまくって欲しいものです。
 
「もれなく、重なりなく、順序正しく」数えること、これが第一の基本です。
この基本がしっかり身につくまで書くべきです。
 
次は「かけるか、たすか」の違いです。「積の法則」と「和の法則」の区別が重要です。
しかし、これもやはりしっかり書き尽くすことでわかってほしい。書ければ楽に数えられる、ここはたせばいい、かければいいと手でわかるまで。はじめは驚くほどこのたすか書けるかの区別がつきません。
 
子どもが場合の数の問題をはじめて質問してくるときの問答は決まっています。
「先生、この問題の解き方を教えてください」
「かいてみた?」
「いえ、計算の仕方を教えてください」
「じゃあ、いいというまでかいてみて。話はそれから」
 
そうは言っても子どもには面倒くさく、いまいち楽しめない単元かもしれません。
 
教わる方も教える方も、他の単元より時間と根気がいる単元です。
しかもごく基本から半端のない応用まで、おさえきれないほど問題はあります。
苦手だ、嫌いだ、こういう感覚を持たせると先に進まない単元でもあります。
 
4年くらいまでは、とにかく書かせて成功体験をたくさん持てるようにしたい。
嫌がらない程度に、書く癖をつけてあげたい。
 
きちんと書く練習ができていれば、根本が身についていますから計算の理解も進みます。
応用問題でも、しっかり書くことをした子どもは、計算の形が見えてきます。
 
繰り返しになりますが、はじめはとにかく自分でたくさん書くことです。
5年でも6年でも、中学生でも高校生でも同じです。
書くことをせず、計算だけ習っても一夜漬けに等しく、身につきません。
 
こういう単元、問題はつかず離れず、苦手意識を極力持たせないようにして、基本から学習させたいものです。
 
もちろん書いて求めるだけで終わってはいけません。
 
たすかかけるか、順番を考えるのか考えないのか、もれなく重なりなく順序正しく書けるようになったら、次の課題は場合分けと公式の利用です。
 
根本の理解は大事ですが、一方で受験は時間との勝負でもあります。
 
場合に分けて手で数えつくす問題なのか、それとも部分部分で公式を利用できるのか、問題を難しくしているところをいかにショートカットできるのか、それを瞬時に区別して解答に至ることができるのかが算数脳の発達につながります。

2016年7月14日 (木曜日)

数脳・図脳・算数脳 その20

計算と基本例題の反復学習は有効です。

よい問題を、少しずつ角度を変えながら繰り返し学習することができれば、算数天才脳に近づきます。

天才とは、何かしら人より格が違って高い能力を持つ人の事を指します。 一般的には、その能力を先天的に持っている人について言います。しかし、それでは算数の能力も生まれつき決まっていることになり、趣旨とは反します。

算数や数学の才能はあくまでも後天的なものであると信じます。

もちろん、生まれついての天才はいるでしょう。 しかし、ここで論ずるのは、ノーベル賞やフィールズ賞を取ることをできる人たちの話ではありません。

少なくとも受験レベルの算数や数学ならば、仮にそれが灘や甲陽、御三家であっても、ちょっとした天才脳で軽くクリアできます。

算数天才脳は、後天的なものであり、その対し方とタイミングで作ることができます。

天才の発想を理解するモデルを何かで見たことがあります。

物事を考えるとき、ふつうの人はAならB、BならC、CならDのように順を追って考えます。 しかし、天才は手順を踏まずにいきなりAとんでD、さらにはAからとんでもない方向のXを考えます。 そこが常人にはついていけないところです。

これは実はいつもあることではないですが、子どもが算数を解く過程で見ることはあります。 そのとき、本人はうまく説明できませんが、明らかにとんだ解法で答えにたどりついています。

計算や解き方など、できるだけ省略せずに順を追って解きなさいと指導されます。もちろんこれは正しい指導です。

途中の式などとばして書くと「100年早い」などと叱られたものです。

私も子どもには「5億年早い」と注意します。

本当の天才でない限り、この「とばし」は「百害あって一利なし」です。

できるだけ楽をしようというのが人間ですし、また、数学や算数の発想ではありますが、何でもかんでも手を抜いていいわけはありません。

人間も子どもも、慣れてくればすぐ「とばし」をやります。

きちんと式や計算が身についているのであれば、それはスピードアップにつながりますから、まんざら悪いとはいえません。

問題は学習の順序です。

「じゅうぶん式や計算が早く正確にできる」→「徐々にとばしを行う」

これは悪くありません。自然です。

いきなり「とばし」から入る学習が危険なのです。

話はもどって、A→B、B→C、この流れをしっかり頭と手に焼きつけることができれば、いつかはA→Cとなります。 これにC→Dが強く刻まれれば、A→Dになります。

さらにこの連結が太く、長くなれば、A→E、A→Xと、どんどん天才脳に近づいていくわけです。 そのためにも、A→B、B→C、C→Dの反復訓練が必要かつ有効です。

「模倣なくして発想なし」なのです。

自分にとり当たり前でないことを当たり前にしていくこと、それを積み重ねていくことが天才への道です。

2016年7月12日 (火曜日)

数脳・図脳・算数脳 その19

受けたい学校に応じて必要な学力レベルがあります。簡単にいうと偏差値が学校に対して10以上不足していた場合、特にそれが算数ならば逆転は難しくなります。そしてそれは難関になればなるほど奇跡は起きなくなります。もし、その学校を突破したいのならば早くそのレベルに上がることが必要です。
 
ただし、がんばった時間や量と成績の伸びは比例の直線のようになりません。平地をずっと歩くうちにいつか一段高い場所にいる、そんな感じです。踊り場が連続している階段が近いイメージです。その日まであきらめずに、継続は力です。
 
悠長なことをいってられないとしたらどうしましょうか。
 
やる気もある、日々の学習もしっかりやっている、でも成績が伴わない。ありがちな悩みです。
 
解消法は個々の状況やそのレベル、環境によって様々でしょうが、いくつかヒントになればと思い考えてみます。
 
学習内容のチェック
 
毎日、テスト形式で計算や一行問題に取り組んでいるか。
 
間違えた問題をその理由を把握して解き直しをしているか。その類題の演習までしたか。
 
授業で習った問題を理解し、重要な問題は特にしっかり演習したか。
 
難しさの順ではなく、重要な問題を優先して演習しているか。
 
苦手な単元を把握し、いつか克服しようとしているか。
 
他の単元の基礎ともなる計算、数の性質、場合の数、割合など苦手がないか。
 
現状から脱するために有効な学習ができているか。
 
箇条書きにしたのでわかりにくそうなところを説明します。
 
「難しさの順ではなく、重要な問題を優先して演習しているか」
 
個別指導をしていると気がつくのですが、大きなテストが終わった後に持ってくる質問がその子にとって重要な問題ではなく、たとえば一番最後の思考力を試すような応用問題だったりします。そこだけ間違え、わからないのだったら喜んで教えますが、習うべき問題は前半から真ん中あたりにあることが多いのです。要となる問題があやふやでは困ります。

考え方や解き方をアドバイスしたり教えてあげたりしたいのは、その子がつまづいて先に進めなくなっている問題です。そしてそれは後半の難しい問題ではないことが多いのです。
 
「現状から脱するために有効な学習ができているか」
 
塾に通って塾のカリキュラムにそって学習している場合、毎回の授業時間は一定であること、1週間に1単元進むことが一般的です。
そのため、理解しやすい単元でも、そうではない単元でも同じ時間しか習えません。何が起きるかというと、クラスやコースによって、または習う先生によって扱う問題の取捨選択に幅ができてしまいます。
それが自分にとってピンポイントで適した問題ならばよいのですが、もっと難しい問題をやるべきだったり、それより基本となる問題をやるべきだったりすると効果が薄まる場合も出てきます。そのレベルがあっていなければ有効な学習ができません。

つまづく原因を取り除き、自ら転がることができるような学習ができるようにしたいものです。

2016年7月10日 (日曜日)

数脳・図脳・算数脳 その18

算数や数学は特にセンスが良いとか悪いとかよく言われます。
 
物事に対してセンスが良いとは、それに対して鋭敏な神経を持つということです。そのものに対して、柔らかな発想や微妙な感覚を持てるとき、「センスが良い」といいます。私自身もそうですが、これまでの生き方や人生観で、受け入れづらいものに対してはなかなか柔らかな見方ができないものです。脳の思考回路が一方通行になってしまっているところがあります。
 
算数や数学のセンスは大人になるとそれは確かにあります。また、本当の天才レベル、最先端の数学研究などでは必要であるし、差が出るものでしょう。
 
しかし、断言しますが中学受験の算数において必要とされるセンスはそれほど特別なものではありません。じゅうぶん環境や学習によって得られる程度のものです。
 
私が算数や数学を教えるときに守っていることがいくつかあります。
そのうちのひとつは決してその子の現在の能力や学力を否定しないことです。
「こんな問題ができないのか」「おまえ、頭悪い」
そんなことを言うのは当然教師として素人です。
 
しかることは当然あります。
ふだんはわけがわからないことを言っている変なおじさんでも、その時はかなりおっかない大人かもしれません。
しかしそれは、道を外れているとき、やるべきことをやっていないときです。
姿勢が悪い、おふざけが過ぎる、周囲に迷惑、目前の問題に集中していない、そんなときは状況に応じてしかります。
 
「頭が悪いなら悪いなりにがんばれ」「天才じゃないんだから努力しなさい」
これも子どもには言いません。
自分で言っている分なら価値があるでしょう。「無知の知」です。
しかし、人から言われることではないし、特に子どもに言うべきことではありません。
 
子どもの能力は無限大です。天才の素質を秘めています。
 
大人に比べて、子どもはか細くもその能力の可能性を持っています。
大人になると言うことは、良くも悪くも自分で自分を相対評価できるようになることです。しかしそこで、真の天才でない限りは天才の道は閉じています。
子どもは強い否定を受けない限り、あらゆる方向に才能の芽を持っています。
 
私は目の前の子すべて算数の天才にしたい。
 
少なくとも算数のセンスが良い子にしたい。
 
否定することなく、正しい学習方法と教材を与えることができれば、必ずそうなるはずです。
 
もちろん、そうそう、うまくいくことではありません。まず本人がその気になり、努力を続けること、それが大前提です。きっかけが何であるにせよ、きっかけ自体が訪れないことには道は閉ざされています。周囲はそのきっかけを与えるように創意工夫するべきです。
 
毎年、レベルの差はありますが「目覚めた」と思う瞬間があり、それが喜びです。
この「目覚めた」の瞬間を何回か繰り返せば、それは「算数の天才」に近づいている証拠です。
 
「こんな問題まで何とかするようになったか」
 
これは至福のときです。
 
算数のセンスは環境で作られる後天的なものです。99%の努力と1%のきっかけによって生まれるものです。

2016年7月 7日 (木曜日)

数脳・図脳・算数脳 その17

「勉強とは、強いて勉めるもの、楽しいわけはない」

まだ若い頃に、それを聞いて妙に納得した記憶があります。よほどつまらない思いをして勉強していたんでしょう(笑)。
 
ただ数学だけは違いました。
 
数学だけは何だかとにかく楽しくてやっていました。
因数分解や数式の証明、sin、cos、Σ、∬、おもしろくってしょうがなかった時期がありました。快感だったのでしょう。
 
たまにはさっぱり手がかりが見つからず、何をやってもだめな問題もありました。それで強い不快感を覚えたことも数知れずあったはずです。しかし、それが解けたときの喜びを知っているから、粘り強くやることもできました。自慢ではないですが、私は小さい頃から根性も粘りもない方です(自慢にならない?)。
 
「下手の横好き」はこと数学、算数にはあてはまりません。
 
もちろんレベルにもよります。たとえば数学者から見れば謙遜ではなく「下手の横好き」レベルでもないでしょうから。

「好きこそ物の上手なれ」です。
 
特に子どもには有効です。
 
「算数が好き」、そうなっただけで勝ちです。
 
算数を好きにさせてあげること、それが私の仕事で、合格はそのあとについてきます。
 
「算数は楽しい」、「算数は好き」、そういう気持ちを持てる子どもの成績はどんどん伸びます。
いつまでもそういう気持ちが持てないままでは逆に低迷してしまいます。そういう気持ちをいったん持てたとしても、それを上回る不快感があるとまた低迷してしまいます。
 
「強いて勉める」ことは大事ですが、不快感をこらえた先に快感がないと続きません。
 
お子さんの学力や性格によって様々でしょうが、「快感」と「不快感」のバランスが大事です。
 
百マス計算についての意見はこれまでに何度も書きましたので省略しますが、これのよさは明らかに、やればできるという「快感」をほとんどの子どもに与えられることです。
 
「お母さんにほめられた」「先生にほめられた」これも貴重な「快感」です。
 
子どもに与える問題のレベルについて。
 
昨今の入試問題傾向を見るまでもなく「基礎・基本」はおろそかにできません。
学力は高い山にしていかなければならず、それには広く強い土台が必要です。
 
「だるま落とし」のように積み上げては、きれいに積み上げても限界があり、いつか倒れてしまいます。
 
しかし一方で、土台ばかりでも限界があります。
 
たまにはよその高い山を見ることも必要です。あの高さに登るのだという目標が必要です。
また、一瞬でも高いところに登った経験があると、世の中の見え方が変わります。

そういった意味で、多少負荷をかけた問題を見せることも大事です。
 
もちろん、そればかりではいけません。それでは「だるま落とし」になります。
 
どの問題レベルまで、子どもに与えるとよいのか。
 
それは「不快感」が「快感」を超えないまでです。または「不快感」を通り越したらすぐに「快感」が得られるところまでです。
 
小学生が算数に対して、大人にはない抜群の理解力を示すことができる理由は頭の柔らかさだけではありません。
 
子どもは「解けないと不快である」ことに慣れていません。慣れさせてもいけません。
 
はじめはみんな「解けないと気持ちが悪い」、「わからないと気持ちが悪い」、「何でもわかるものだ」と思っています。そこが子どもの強いところです。
 
妙に大人になってしまうとその感じが薄らいでいきます。「難しいから解けなくてもしょうがないか」と思うようになったらずるい大人の仲間入りです。
 
そういう子どもには、また違う学習法を考えなくてはなりません。
 
ずっと維持することは難しいことですが、「算数って楽しい!」という気持ちを持ち続けさせることが一番重要で、また難しいところです。
 
解ける喜び、次に向かう意欲、その見極めが問題を与える側の力量のひとつです。

2016年7月 5日 (火曜日)

数脳・図脳・算数脳 その16

毎週毎週追い立てられるように学習している中学受験生にとって、時間の問題は避けられない問題です。
 
カリキュラムの進度が速い塾やそのシステムに乗った学習をする場合、毎日の学習を計画的に組み立てていかないと流されっぱなしになる危険性があります。
 
算数ばかりを学習するわけにはいかないので1問ごとに粘るのは勇気がいります。
 
そう考えると受験は時間との勝負になります。
 
算数の学習で一問ごとに粘るかどうかは粘って「喜びがある」か「達成感がある」かです。
 
算数が不得意な子、嫌いな子には1問1問粘らせることは非効率的です。
 
それこそ5分考えてわからなかったら次、わからなかったら次と、どんどん先に行く方がよいでしょう。子どもにとっての苦痛の時間は短く早く終わる方がよいでしょう。
 
しかし、解くことの喜びを知っている子に対しては解けるまで、あきらめるまで時間が許す限り解かせてあげたい。
今は時間がもったいないように思えても解けたときの喜びがそのまま力になり、達成感が自信になります。
 
喜びと自信は何事にもかえがたい算数の力です。算数脳の源といえます。
 
また、子どものタイプによっても違ってきます。
 
大人でも、たとえば推理小説やドラマの結末をすぐに知りたい人と、しっかり順を追って読んだり見たり、結末は自分のものにしたい人がいます。
 
これは趣味の問題なので、どっちが良い悪いはないですが、犯人を先に知ってから安心して読む人もいれば、犯人を人から聞くと怒り出す人もいるわけです。推理小説を好む人は圧倒的に後者です。そもそもそれが楽しいから読むのでしょう。
 
わからない問題はさっさと解説を見たり人に聞いたりしてサクサクこなす子もいれば、それこそ1問1問納得しないと先にいけない子もいます。
 
人間の性格と同じで、それぞれに良い面、悪い面があります。
 
サクサクこなす子は遠くまでひとっ飛びですが、どうしても記憶は薄くなります。穴ができる可能性も高くなります。しかし身につく子は回転率の勝負で何とかしてしまいます。
要領がよければ柔らかい算数脳ができます。
 
納得型は言うまでもなく、時間がかかるかわりに手につかんだものは離しません。一歩ずつ一歩ずつ進み、強い算数脳ができます。
 
理想は基本問題・パターン問題は回転率でこなし、良い問題はじっくりつかむことですが、これが難しいところです。
「5分やってわからなかったら解説を見なさい、解説を見てわからないところは質問しなさい」と言います。
 
5分は公約数的な言い方で、個別に言うときは、子どもによって3分から30分まで開きがあります。基準は上記のタイプによります。
 
また、どこまでわかって、どこからわからないのかを、自分で把握できるようにすることも大事な学力です。そのために自分で解説を読むことができる力も重要です。
 
たまに、解説を見るとわかった気になってその場は解けるけれども、しばらくしたらできなくなるという話も聞きます。
 
わかったつもりは困りますが、まず解説を見てそれを理解できること自体、学習能力は高いと判断できます。わかりやすい先生の授業を受けてもわからないものはわからず、解説やテキストを読んでもはじめはチンプンカンプンが大部分を占めるでしょう。
 
しばらくしたらできなくなるのは解説を読んでわかったからということでなく、別の同じような問題を解くといった定着させるような作業をしなかったせいであると考えられます。
解説を見る必要があったということは、苦手な問題、わからない問題だったということなので、練習が必要なのは当たり前のことなのです。

2016年7月 3日 (日曜日)

数脳・図脳・算数脳 その15

受験生にとっては大事な夏が目前となりました。
 
夏期講習の日数が多い塾では30日間、少ないところでも20日間くらいでしょうか。
1日の算数の授業は少なくとも1時間、多ければ2.5時間くらいはあります。

ただの目安で個人差はあるでしょうが、1日に算数にかける時間は授業も含めて3時間から5時間が妥当になります。
 
前回は時間をかければよいというものではないということを書きましたが、受験学年はやはりそうはいってられません。

前回の話は主に低学年の話で、低学年から無理矢理長時間やっても効果が期待できないどころかオーバーヒートしては逆効果であると言うことです。
 
受験生であれば、その5、その6あたりで書いた10000時間の話を持ち出すまでもなく、時間はかけるべきで、しっかりやろうと考えれば考えるほど、やるべきことは毎日毎日増えていくことでしょう。
 
受験生だからといってやはりオーバーヒートはよくありません。体力とよく相談してありきたりではありますが、計画的に規則正しく毎日を送っていきましょう。
 
夏は「プロ級1000時間」越えのチャンスです。ここでしっかりがんばることができれば秋にぐんと加速できます。志望校も近づいてきます。
 
なぜ夏が大事なのか、言わずもがなですが長い休暇で学校などに縛られず自分の時間がたくさんあるからです。
 
夏はがんばりようで、ふだんの学習の3ヶ月分から半年分の学習ができます。
 
単純な話をすると、ふだんは週に2、3回の算数の授業が6日に5回ぐらいのペースになります(受験塾ではほぼ毎日算数があるのが一般的です)。ふだんの3週間分が1週間で終わる計算です。

塾での授業はこのように毎日ふだんよりもずっと忙しくなりますから、大事なのはその後の家庭学習です。定着、演習をできればその日のうちに、少なくとも次回の塾前までに終わらせていければよいですね。
 
勝負の夏がまた近づいてきました。

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